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特設ページ

はじめての対馬

  1. 対馬ってどんな島?
  2. 対馬へ行くには
  3. 旅の準備チェックシート
  4. おまけ情報

対馬ってどんな島?


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位置
 対馬(つしま)は、九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています。博多港(はかたこう。福岡県)までは航路で132キロ、韓国までは直線距離で49.5キロに位置し、「国境の島」と呼ばれています。
面積
 南北82キロ・東西18キロ、面積は約708平方キロ(属島ふくむ)で、沖縄本島と北方四島を除けば、佐渡島・奄美大島に次ぐ大きさです。平成16年に島内の旧6町が合併し、長崎県下の市町村では最大の面積をもつ「対馬市」になりました。

対馬の自然の特徴は?


自然景観
 東西を対馬海流が流れ、平地が少なく、島土の約89%が山地であり、各地に原生林が残されています。島の中央にはリアス式海岸・浅茅(あそう)湾が広がり、海岸線の総延長は915キロに及びます。地質は大部分が堆積岩で、表土は薄く、ごつごつとした岩肌が海に沈みこむ荒々しい風景があちこちで見られます。
(写真: 浅茅湾(あそうわん)空撮)


生き物たち
 サル・クマ・キツネ・タヌキ・ウサギ・リスといった本土の普通種が1匹も生息せず、代わりにツシマヤマネコ、ツシマテン、アキマドボタルなどの大陸系生物が分布するなど、独特の生態系が築かれています。その特異な生態系により、白嶽などの山岳、鰐浦ヒトツバタゴ自生地などが国の天然記念物に指定されており、また島の多くの部分が壱岐対馬国定公園に指定されています。
(写真: 国指定天然記念物・ツシマヤマネコ)


自然と食
 対馬は山地が多く、陸上交通が不便であったため、島への伝来物が何百年もそのまま保存されている場合があります。その代表が対州そば。そばは縄文後期に日本に移入されたと考えられ、全国的に品種改良が進みましたが、対馬では縄文後期の原種そばを今でも味わうことができます。また、昔ながらの養蜂法が今も行われており、濃厚で香り高い和蜂のハチミツを楽しむことができます。山が深く、四方を海に囲まれている対馬は、自然が生み出す本物の食材に出逢うことができる島でもあるのです。
(写真: ニホンミツバチのハチミツ)

対馬の歴史の特徴は?


古代
 島全体が岩がちであり、耕地が乏しいという地理的条件のため、古代より九州本土と朝鮮半島を結ぶ海上交通に活路を見出してきました。対馬最古の越高(こしたか)遺跡(紀元前6800年頃)からは九州と朝鮮半島の遺物が同時に出土し、当時から九州と朝鮮半島の間で人と物の交流・交易があったことを示しています。
(写真: 烏帽子岳展望所から見た浅茅湾)


日本誕生
 古代より続く人の流れと、大陸文化を摂取するための使節の派遣などにより、金属器・漢字・仏教・政治制度などさまざまな大陸文化が対馬・壱岐を経由して日本に流れこみました。対馬・壱岐はいわば、日本が誕生する際の「へその緒」としての役割を果たしました。
(写真: 古代の港・西漕手(にしのこいで) 対馬市美津島町小船越)


国家間の緊張
 7世紀の白村江の戦いによりほぼ国境が確定し、日本・新羅・唐という国家が成立したことにより、「国境の島」は常に国家間の緊張関係の最前線にさらされることになりました。その一方で、鎌倉時代から江戸幕末まで宗家(そうけ)が対馬を統治し、また戦国時代から現代まで戦場にならなかったため、全島に豊富な歴史・民俗資料が温存されており、日本や朝鮮半島の歴史を知る巨大なタイムカプセル・データベースとなっています。
(写真: 古代山城・金田城(かなたのき) 対馬市美津島町黒瀬)


朝鮮外交の拠点
 江戸時代を通じて対馬藩は幕府から対朝鮮外交を一任され、朝鮮半島に10万坪(長崎出島の25倍)の外交通商施設「倭館」(わかん)を運営し、対馬藩士400〜500人が滞在していました。また、朝鮮王朝から江戸幕府に派遣される国家使節団「朝鮮通信使」の接遇・先導・護衛を務めるなど、独自の外交機能を発揮しました。
(写真: 対馬藩主宗家菩提寺・万松院(ばんしょういん) 対馬市厳原町西里)


戦争と平和
 日露戦争の最終局面、日本海海戦(Battle of Tsushima)では、対馬沖で日本帝国海軍とロシアバルチック艦隊の間で激しい戦闘が繰り広げられました。海戦は日本の一方的な勝利に終わり、ロシアの被害は甚大で、対馬に流れ着いた敗残兵も多かったのですが、島民の手厚い看護により健康を回復し、やがて帰国しました。その後も、第2次大戦、朝鮮戦争など大きな戦争が起きるたびに、対馬は大きな影響を受け続けてきました。
(写真: 姫神山(ひめがみやま)砲台 対馬市美津島町緒方)

現在の対馬は?


雄大な自然と悠久の歴史を楽しむ
 漁業と公共事業の不振、過疎・高齢化の進行という厳しい情勢のなか、ようやく対馬でも「開発か環境保護か」という二者択一ではなく、対馬の自然・歴史資源を活かした地域振興が模索されるようになりました。近年、対馬の自然を全身で満喫できるシーカヤック体験ツアーや原始林トレッキングが人気を集めています。平成20年には「対馬観光ガイドの会やんこも」が設立され、対馬の歴史をわかりやすく楽しく案内できるようになり、好評を博しています。


国際観光地を目指して
 対馬の人口は約3万3000人(2014年)ですが、福岡市(125万人、2009年)と長崎市(44万人、2009年)、プサン(370万人、2004年)の間に位置し、長崎とは空路で、福岡とは空路・海路で、プサンとも海路で結ばれており、観光物産の振興と交流人口の拡大による島の活性化を目指しています。

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