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対馬の自然と歴史

対馬の歴史

対馬歴史年表

縄文時代〜室町時代 | 江戸時代 | 明治時代〜現在

縄文時代

紀元前6800年頃 朝鮮系土器・九州系石器の出土
 越高遺跡(上県町)から、隆起文土器(朝鮮半島系)・九州産黒曜石の鏃(矢じり)や銛(もり)が出土。縄文時代早期から、対馬では朝鮮半島・九州本土と交流・交易が行われていたことをうかがわせる。
紀元前4000年頃 北部九州との交流
 佐賀貝塚(峰町)から縄文人骨・阿高式式土器(北部九州系)・建物跡・腕輪などの装飾具が出土。人骨は長崎大学医学部が所蔵。
縄文時代中期 朝鮮半島との交流
 豊玉ヌカシ遺跡(豊玉町)から櫛目紋土器・二重口縁土器等朝鮮系の土器が出土。この時代にも朝鮮半島との交流が続いていた。
紀元前3200年頃 西北九州との交流
 志多留貝塚(上県町)から鐘崎式土器、佐賀県伊万里産の黒曜石や貝製腕輪が出土。

弥生時代

弥生時代前期・中期 稲作の伝播
 志多留貝塚(上県町)から大陸性の石ノミ、石包丁が出土。わずかながら対馬に稲作が伝えられた可能性がある。志多留には、鶴が一本の稲を運んできて、それから稲作が始まったという伝承がある。
2世紀後期 九州・朝鮮・中国との交流
 塔の首遺跡(上対馬町)から、北九州産の広形銅矛、楽浪郡の銅釧(腕輪)、中国製の青銅鏡が出土。国際色が豊かで、さかんに交易が行われていた様子がうかがわれる。
3世紀 魏志倭人伝
 魏志倭人伝(陳寿 233〜297)に対馬国に関する記述が登場。日本は卑弥呼の時代、中国は三国志の時代。

「始めて一海を渡ること千余里、對馬(対馬)国に至る。 其の大官は卑狗、副は卑奴母離と曰う。居る所絶島、方四百余里可。土地は山険しく深林多く、路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海の物を食べ自活、船に乗りて南北に市糴(=交易)す。」

(断崖絶壁が多く、山が深く、道は獣道のように細い。また、水田が少なく、海産物を食し、朝鮮半島や大陸と日本本土を小船で行き来して交易を行っていた。)

飛鳥時代・古墳時代

4世紀 大和朝廷の影響
 出居塚古墳(美津島町)は前方後円墳で、銅鏃(矢じり)・管玉等が出土。前方後円墳は大和地方で発達した古墳の形態であり、この時代にすでに対馬は大和朝廷の強い影響下にあったことを示している。
5世紀 大和朝廷の影響
 根曽1号墳(美津島町)は前方後円墳で、鉄族(矢じり)等が出土。
663 白村江の戦い
 唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済を再興するため、大和朝廷の軍が海を渡るが、白村江(はくすきのえ、はくそんこう)の戦いで大敗する。
664 防人・烽火
 国境防備のため対馬に防人(さきもり)が置かれ、烽火が8ヶ所設置される。防人は東国から徴発されたが、これは東国の勢力を削ぐ意図があったとも、白村江の戦いで九州・近畿の主力が壊滅していたためとも、言われている。防人の歌が万葉集に残されている。
667 金田城
 現在の美津島町箕形(みつしままち・みかた)に朝鮮式山城の金田城(かねたのき)が築かれる。滅亡した百済の築城技術によるもので、国の特別史跡に指定されている。
674 銀の産出
 対馬国司守忍海造大国が対馬で産出した銀を朝廷に献上。これが日本で初めての銀の産出となる。
676 統一新羅成立
 唐と連合した新羅によって百済・高句麗が滅ぼされ、唐の介入を阻んだ新羅が朝鮮半島を統一。首都は金城。
701 大宝の元号
 対馬で産出したと称する金を朝廷に献上したところ、これを慶んだ朝廷によって日本最初の元号「大宝」が起こされる。

奈良時代

736 遣新羅使船の停泊
 遣新羅使船、対馬の浅茅浦、竹敷浦に停泊。

平安時代

805 最澄の来島
 第16次遣唐使に同行した最澄が対馬の阿連(あれ)に帰着。行きの船は、4船中最澄の乗った船以外はすべて難破、帰りの船も流されて対馬に漂着した。当時、玄界灘を渡るのは命懸けだった。
894 新羅の賊船を撃退
 新羅の賊船大小100、約2500人が佐須浦に攻めてくるが撃退する。
936 高麗王朝成立
 新羅が滅亡し、王建により高麗王朝が建てられる。首都は開城。
1008 豆酘の多久頭魂神社の梵鐘
 阿比留宿弥良家(あびるすくねよしいえ)の名が刻まれた豆酘寺の鐘が造られる。阿比留氏は対馬で大きな勢力を持っていた。
1019 刀伊の入寇
 正体不明の賊船50隻が対馬を襲撃。島民36人を殺害、346人を連れ去る。のちに賊の正体が女真族であることが判明し、刀伊の入寇と呼ばれるようになる。

鎌倉時代

1196 惟宗氏の入国
 対馬島主・藩主となる宗家の祖と言われる惟宗(これむね)氏の名前が、対馬の在庁官人の中にはじめて見られる。
1246 惟宗氏と阿比留氏の戦い
 大宰府の命により惟宗重尚(これむねしげひさ)が、鶏知(美津島町)を中心に強い勢力を持っていた阿比留在庁(平太郎)を征討したと伝えられる。内山(厳原)の木武古婆神社には重尚が祀られている。また、小浦(厳原)には在庁田、在庁落としの地名が残されている。
1274 元寇(文永の役)
 元・高麗軍900隻・25000人が小茂田浜に来襲。元・高麗軍の一部が上陸し、それを迎え撃った宗資国(そうすけくに。助国とも)以下80騎と激突、宗資国一同は玉砕。島民に甚大な被害が出る。
1281 元寇(弘安の役)
 第2回元寇が日本世界村(峰町佐賀?)に来襲。被害は不明。

室町時代

1350 倭寇の活動活発化
 元寇以来、倭寇の活動が活発・過激になっていったため、高麗では倭寇対策が主要な政治課題になっていく。
1366 高麗国との交流
 高麗国王より倭寇の取り締まりの要請があり、宗家家臣を高麗へ派遣。高麗との通交が始まる。
1392 李氏朝鮮成立
 高麗の武官・李成桂により李氏朝鮮が成立。
1398 宗氏の対馬定住
 宗貞茂、筑前より対馬に来て峰町志多賀(みねまちしたか)に館を開く。1408年には峰町佐賀(みねまちさか)に府を置く。中世の対馬の中心地は峰町だった。
1419 応永の外冦
 倭寇の取り締まりに熱心だった宗家7代貞茂の死後、8代貞盛が幼少だったため倭寇の活動が活発化。倭寇の活動を抑えるため、李氏朝鮮1万7000の軍が浅茅湾に来襲。仁位郡の奴加岳(ぬかだけ)付近で合戦。奴加岳戦争とも言われる。双方100名を超える犠牲者が出て、これにより対馬と李氏朝鮮の関係は一時悪化するが、倭寇の活動に悩む李氏朝鮮と、朝鮮貿易が生命線である対馬の間で徐々に関係回復が図られていく。
1443 嘉吉条約(発亥約定)
 李氏朝鮮と通交条約である嘉吉条約(かきつじょうやく)を結び、歳遣船の定数を定める。これにより、宗家が朝鮮貿易の独占的な地位を占めるようになる。
1452 李氏朝鮮から使船が送られる
 8代貞盛が死去し、9代成職の封(領地)を継ぐ。朝鮮国王から弔礼と襲封祝賀の使船が送られる。
1456 朝鮮国から官位を受ける
 対馬の源茂崎が漂民救助の功によって朝鮮国王から官職図書(司直の職)を授けられる。最初の受職人となる。
1468 政治の中心が佐賀から厳原に移る
 宗貞国、政治の中心を佐賀(峰町佐賀)から国府(厳原)に移す。
1471 海東諸国記
 李氏朝鮮の重臣・申叔舟により海東諸国記が記される。当時の日本・琉球の歴史・地理・文化等を紹介した最初の総合的な資料で、対馬の8郡82浦も紹介されている。
1486 国府を中村に
 宗貞国、国府を中村(厳原町)に遷す。
1497 少弐氏の滅亡
 宗家の主筋にあたる少弐氏が滅亡し、名実ともに宗家が対馬の島主となる。
1510 三浦の乱
 朝鮮半島の3つの港に置かれていた倭館の居留日本人が、李氏朝鮮の貿易統制に反発して暴動を起こす。これにより朝鮮との国交は断絶。三浦の乱と呼ばれる。
1512 永正条約
 朝鮮と永正条約を結び、国交が回復する。歳遣船定数30隻。
1526 池の館
 館を中村から池の地に移し、今屋敷と称する。
1528 金石の館
 宗盛治の乱により池の館が焼け、金石に館を移す。
1546 宗姓が嫡流のみになる
 宗家の傍系諸家が宗姓を名乗ることが禁じられ、宗姓は島主・藩主のみとなる。

安土桃山時代

1579 宗義智が島主になる
 宗義智が宗家19代島主となる。
1591 清水山城築城
 豊臣秀吉の意を朝鮮国に伝えるために義智が渡朝するが朝鮮側を説得できず。府中(厳原)に清水山城が築かれる。
1592 文禄の役
 朝鮮出兵が始まる。小西行長(宗義智の妻である小西マリアの父)・宗義智らは先陣として出征する一方、水面下でさまざまな和平工作を行う。
1597 慶長の役
 第2回目の朝鮮出兵。李舜臣の水軍・明の援軍・朝鮮民衆のゲリラ行動により膠着状態に陥り、1598年の秀吉の死によって撤兵する。
1599 国交回復の試み
 宗義智が徳川家康から朝鮮との国交回復を命じられ、家臣を朝鮮に派遣したが全員帰国せず。
1600 関ヶ原の合戦
 宗義智・小西行長は西軍(三成方)につくが敗れる。行長は斬首、義智はお咎めなしとされるが、行長の娘で義智の妻・小西マリアとは離縁することとなる。マリアは長崎に渡り、一生を終えたと言われている。厳原八幡神社には、キリシタンであった小西マリアがまつられている。
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