対馬シーカヤックフェスタ2010 防人が築いた大要塞・金田城をゆく 〜1300 年前の古代山城を陸と海から体験する特別な2日間〜

対馬シーカヤックフェスタ2010 防人が築いた大要塞・金田城をゆく

対馬シーカヤックフェスタ2010 防人が築いた大要塞・金田城をゆく
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対馬要塞について

対馬要塞について

 日本の近代要塞は、幕末に異国船打払いのための砲台を海岸部の台場に建設したのがその起源と考えられています。明治維新後は、重要港湾の防衛のために次々と要塞が築かれましたが、対馬要塞(明治20年起工)は、帝都・東京の防衛のために建設された東京湾要塞(明治13年起工)に次ぐ早期に整備が始まりました。
 対馬の要塞化は、幕末から度重なった異国船の出没、清国・ロシアに対抗するための対馬海峡の防備強化など、「国境の島・対馬」の宿命でもありました。

 明治期から第2次大戦まで、対馬には31もの砲台が築かれましたが(臨時砲台を除く)、現在、これらの「砲台跡」は草木に埋もれつつ、静かに眠りについています。金田城は、これらの要塞群の起源でもあり、古代から続く国防の最前線・対馬の歴史を今に伝えているのです。

金田城の碑


金田城碑
一千二百有余年の昔 天智天皇六年 百済の帰化人を使役し 規模宏大なる堅城を此地に築き 是に防人を置き 以って永く辺防の要衝と為す 按るに対馬要塞の起源 実に遠く是に在る也

対馬要塞司令官 瀧原三郎 題

 碑文(原文は旧字・カタカナ)は、金田城(城山)の鎮守である大吉戸(おおきど)神社前にある石碑。瀧原三郎少将は、1928〜1929年の対馬要塞司令官。
 古代の金田城の所在地については、厳原町佐須の「金田」と、この「城山」の2説があり、発掘調査に基づき、昭和57年に「金田城跡」として国の特別史跡に指定されました。この石碑は、昭和初期の要塞司令官が、軍事上の重要性から「城山=金田城」を断言し、それが事実であったことを示した点で貴重なものとなっています。

第1期(明治20〜21年) 日清戦争への備え

芋崎砲台
対馬で最初期の要塞。保存状態はよいが、道は悪路。
工期: 明治20年着工、21年竣工 / 所在地: 対馬市美津島町昼ヶ浦



第2期(明治31〜36年) 日露戦争への備え

城山砲台
10月31日(日)の「古代要塞・金田城トレッキング」で訪れる要塞です。古代の山城と近代の要塞が同居し、はるかな時間を旅することができる要塞です。
工期: 明治33年着工、明治34年竣工 / 所在地: 対馬市美津島町黒瀬






姫神砲台
今回のイベントの「遊覧船+姫神要塞ウォーキング」コースで訪れる要塞です。日露時代のモダンなデザインが素晴らしい要塞です。
工期: 明治33年着工、明治35年竣工 / 所在地: 対馬市美津島町緒方





上見坂堡塁
「堡塁」(ほうるい)は、攻撃主体の砲台とは異なり、砲台等の後方防衛の機能を持つものを指します。上見坂堡塁は、ロシアが小茂田浜(対馬西海岸、元寇の古戦場)から上陸した場合の備えとして設計されています。
工期: 明治34年着工、明治35年竣工 / 所在地: 対馬市厳原町北里




第3期(大正13年〜昭和20年) 第2次大戦前

豊砲台
 朝鮮海峡に面した対馬北部・豊(とよ)にある砲台で、昭和9年の竣工時、名実ともに世界最大の巨砲でした。終戦後に米軍が武装解除しようとしましたが、コンクリート製の分厚い構造のため破壊を諦めたとか。
工期: 昭和4年着工、昭和9年竣工 / 所在地: 対馬市上対馬町豊
砲台種別: 40センチカノン砲2門、射程30,000m




おまけ その1

豊臣秀吉の朝鮮出兵時(16世紀末)に築かれた清水山城の本丸(一の丸)跡です。


おまけ その2

対馬北端・上対馬町鰐浦(わにうら)の海栗島は、航空自衛隊の基地になっており、巨大なレーダー(球形)が国境の海を睨んでいます。水平線の上に浮かんでいるのは韓国の陸影です。


対馬は古代から現代まで、国防と交流の最前線の島なのです。


対馬要塞について

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