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対馬戦史 古代〜江戸時代

みどころ
 国境の島対馬は、古来より国防の最前線でした。元寇など数度に渡り外国の侵略を受ける一方、朝鮮出兵時には案内役・先陣として働くなど、常に朝鮮半島・大陸と日本の緊張関係の影響を受け続けてきました。古くからの国防の最前線基地としての対馬の側面にふれるコースです。

コース
清水山城〜万松院〜金田城〜尾崎〜小茂田〜上見坂


清水山城 〜朝鮮出兵時の山城〜
 秀吉の朝鮮出兵時に、佐賀の名護屋城・壱岐の勝本城とともに対馬に築かれた山城。清水山の稜線に沿う形で、山頂から順に一の丸・二の丸・三の丸の石垣が残されており、府中(厳原)と厳原港を一望できます。


万松院 〜宗家菩提寺〜
 豊臣秀吉の朝鮮出兵後、朝鮮国との関係改善に尽力した宗家19代・宗義智の菩提寺です。朝鮮貿易で莫大な利益をあげた20代義成・21代義真の墓石が巨大であるのに対し、義智の墓石は朝鮮出兵による貿易の断絶・徴兵による島民の人心の荒廃を反映して小さく、歴代藩主の墓所の一画にひっそりと佇んでいます。


金田城跡(かねたのきあと)
 天智2年(663)日本軍は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れました。日本国防の最前線となった対馬は大陸からの侵略に備え、浅茅湾の南岸にそびえる城山に金田城を築き防衛の拠点としました。
>>朝鮮式山城・金田城トレッキング


 現存する遺構は3つの城戸とそれを取り巻く石塁がよく遺り、訪れた人を過去へ誘います。気象条件がよければ、山頂から遠く朝鮮半島を眺望することができます。


尾崎 〜倭寇の本拠地〜
 対馬市美津島町の西部にある尾崎地域は、倭寇(海賊)の一大勢力であった早田氏の拠点の一つで、1419年朝鮮水軍による応永の外寇の際に真っ先に襲撃を受けました。尾崎の北端にある水崎遺跡の発掘の結果、陶磁器の9割近くは朝鮮製で、その他に東南アジア製の陶器等も見つかっており、早田氏が朝鮮・中国・東南アジアにいたる広い交易圏を持っていたことをうかがわせます。


小茂田 〜元寇の古戦場〜
 1274年、宗家初代・宗資国(そうすけくに。助国とも)の時代には、元寇軍3万3000(蒙古2万5000・高麗8000)のうち約千騎が小茂田浜(こもだはま)に上陸、それを迎え撃った資国以下80余騎が激戦の果てに全滅しました。68歳であった資国はのちに軍神として祀られ、毎年11月に行われる小茂田浜神社大祭には、宗氏と家臣の子孫たちが甲冑に身を固めて参加し、海に向かって弓を鳴らす鳴弦の儀式が行われます。


上見坂 〜宗氏と阿比留氏の攻防〜
 標高385mの展望台から日本の代表的溺れ谷・浅茅湾が箱庭のように眼下に広がります。伝説上の宗家初代・宗重尚(そうしげひさ)が、当時対馬を支配していた豪族・阿比留氏を滅ぼした古戦場と伝えられています。




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