朝鮮式山城・金田城トレッキング
みどころ 城山は浅茅湾の南岸に突き出た半島。663年、朝鮮半島での戦争「白村江の戦い」に敗れた大和朝廷は、667年、城山全体を石垣で囲って朝鮮式山城・金田城(かねたのき)を完成させました。関東から徴兵された防人たちは、この山の山頂からどのような思いで水平線を見ていたのでしょうか。標高275メートル、国指定特別史跡。山頂までの往復ルートは片道1時間、山頂から大吉戸神社へ進むルートは全行程3時間以上。
コース 城山登山口〜城山山頂〜(来た道を戻るルートと、一ノ城戸・大吉戸神社方面へ別ルートを進む道があります)
金田城コース図(PDF形式351KB)
金田城の岩塊 美津島町洲藻(すも)からは、白嶽と金田城に行くことができます。洲藻の集落内に進むと白嶽、箕形(みかた)方面へ進むと、この城山の岩塊が姿を現します。
金田城登山口(県道) 城山を見上げながら進むと、右手に城山入り口の看板があります。
ヤマボウシ 6月ごろ、城山登山道ではたくさんのヤマボウシを見ることができます。
金田城登山口(林道奥) 林道を進むと、車が数台駐車できる登山口へ到着。城山にはトイレがないので、要注意。
登山道の様子 登山道の雰囲気はこんな感じです。かつては炭焼きによる伐採も多かったようで、樹齢数十年の雑木がよく見られます。タイミンタチバナが非常に多いのが特徴的。
黒瀬湾を望む 登山道が断崖を走り、黒瀬湾を眺望できるビュースポットが出現。黒瀬の人々は、防人の子孫だという言い伝えがあるとか。
古代の石垣 7世紀に築かれ、1300年以上の風雪に耐えてきた古代の石垣が姿を現します。
カギカズラ こちらは城山に多い植物のひとつ、カギカズラ。他の植物にカギをひっかけています。いろいろな生存戦略があるものです。
金田城・三ノ城戸 整然と積まれた城壁。城山全体を取り囲むように石垣が続いています。
登山道の様子。
日露戦争、迫る 7世紀に古代の山城であった城山は、日露戦争時に再度要塞化されました。山頂近くに残る、明治時代の要塞跡です。
山頂には砲台跡も・・・。
朝鮮半島を望む 山頂からの絶景。海の彼方は朝鮮半島。7世紀も、明治時代も、そして現代も、「国境の島」対馬は外国との緊張と交流の歴史のなかに存在しています。
北白川宮能久親王 山頂には、北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王お手植えの金竹が茂っています。親王は、「親王家の庶子として生まれ、幼くして都を遠く離れた江戸の地で僧侶として過ごし、一時は「朝敵」の盟主となって奥州の地を転々とし、後には陸軍軍人として台湾平定の英雄とされ、異国の地で不運の死をとげた数奇な人生は日本武尊に喩えられた。」(Wikipediaより)という数奇の人生を送った皇族。
巨石・鋸割岩 山頂から海岸側へ降りると、浅茅湾内の名所のひとつ、石英斑岩の巨石・鋸割岩(のこわきいわ)が視界に入ってきます。
金田城・一ノ城戸 そして!金田城の一ノ城戸が出現。下半分は7世紀に築かれた石垣で、自然石を積んだ野面積みの手法。上半分は後世に修復したようで、切石を積んだ状態になっているのがよくわかります。
国の特別史跡(長崎県では、壱岐の原ノ辻と対馬の金田城のみ)として、調査・修復作業が進行中。実は、667年以前から山城として使われていた可能性も高いとか。
帰路。防人の時代の歴史ロマンに触れることができる金田城トレッキングです。
トレッキングガイド
対馬観光ガイドの会やんこも 〒817-0022 長崎県対馬市厳原町国分1441 対馬市役所1F 対馬観光物産協会内 TEL 0920-52-1566 / FAX 0920-52-1585
ご予約は1週間前から受け付けています。
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