小茂田浜神社大祭
文永11年(1274年)の元寇で元・高麗連合軍と壮絶に戦い、全滅した島主・宗助国と家臣団の魂を鎮めるため、武士の子孫たちが鎧に身をかためて小茂田浜に集い、神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」が行われるようになりました。奉納相撲や奉納太鼓、出店等で賑わいを見せます。
※新型コロナ感染症対策として開催が中止になる場合がございます。

文永11年(1274年)の元寇で元・高麗連合軍と壮絶に戦い、全滅した島主・宗助国と家臣団の魂を鎮めるため、武士の子孫たちが鎧に身をかためて小茂田浜に集い、神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」が行われるようになりました。奉納相撲や奉納太鼓、出店等で賑わいを見せます。
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対馬藩主・宗家の菩提寺で、国指定史跡の万松院では、一年に一度、約350基の灯篭に明かりを灯し、御霊をお祭りします。闇に浮かぶ無数の灯篭が、幻想的な幽玄の世界を醸し出します。
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旧暦8月15日に、厳原町にある八幡宮神社の大祭が行われます。1340年を数える由緒ある神社で、大祭時には屋台が多く並び、老若男女が祭りを堪能します。本祭の日には、神幸式(おさがり)行われ、宮司や氏子らの行列と神輿が厳原港を目指して練り歩きます。
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対馬の三大祭りの一つと言われる夏の風物詩、それが「対馬厳原港まつり」です。
ステージイベントをはじめ、江戸時代に朝鮮と江戸を往復した華やかな友好外交使節団「朝鮮通信使」行列の再現パレードなども行われます。
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対馬市厳原町の市街地で古くから行われている、子どものためのお祭りです。浴衣を着た子どもたちが、笹や色紙で飾られた町内各地のお地蔵様にお参りし、大人からお菓子をもらいます。地蔵盆は厳原の子どもたちにとって夏の楽しみのひとつです。
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対馬の古い俗神として、固有の特色を持つ天道信仰は、神仏習合の典型的祭祀習俗を伝承してきました。
「ヤクマ」と称する祭礼は、この天道の祭りであり、旧暦6月初午の日にこの塔の面前で祭祀を行います。
海岸の石を円すい状に積み上げて、男児の健やかな成長や五穀豊穣を願う伝統行事で、「ヤクマ祭り」と言われます。
石塔は「ヤクマの塔」と呼ばれます。
以前は対馬各地で見られましたが、今では、この木坂地区と青海地区のみに残っています。
上県町佐護から「異国が見える丘展望台」にかけて、あじさいが咲き誇る道をロードウォーキングします。
古代より大陸への窓口であった対馬を象徴する植物「ひとつばたご(別名:海照らし)」。
その日本最大の自生地である鰐浦地区で、開花に合わせて開催されるお祭りです。
主な催し物として、ステージイベント、展示、出店、グラスボードなどが行われます。
ひとつばたごを鑑賞しながら、国境の町を楽しみください。
旧暦の1/3、豆酘の雷(いかずち)神社(旧称:嶽之大明神)の社前で新年の祈祷と、新年の吉凶を占う亀トが行われます。この祭礼を俗に「サンゾーロー祭り」といいます。
貞享3年(1686)の『対州神社誌』には、「嶽之大明神。神体は則ち岩也。社無し。由緒不知。殿様の御占並びに郡中の焼占を正月三日に仕る。」とあります。
神主は殿様(島主)の御運、藩中の動静、朝鮮貿易の吉凶、群中の作物の豊凶などを占ったことが報告されおり、公式には明治4年の廃藩まで行われました。
現在この亀トは形骸化したが、祭礼の次第はほぼ古式に伝承されており、貴重な民族資料として有名です。
豆酘(つつ)は対馬の南の端に位置しています。ここには稲の原生種といわれる赤米の穀霊を神として祀(まつ)る行事が一年を通じて行われています。
中でも最も重要な神事が「頭受け神事」です。すべての神事を取り仕切る頭仲間と呼ばれている集団があり、御神体の赤米が前年の頭主(とうしゅ)の家から次の頭主の家へと「神渡り」するのです。
本座の中央に吊られた神の俵を降ろし、「お守り申す」役の背中に乗せられ、深夜、神様がお渡りして行きます。
その為、毎年旧暦1月10日の深夜に多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ)にて行われています。
御神体は再び天井から吊るされ、豊作を祈願する「受取り渡し」の儀式が行われます。