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天空の要塞 姫神山(ひめがみやま)砲台

 姫神山砲台は、明治33年から34年にかけて、対馬海峡(東水道)に突き出した美津島町緒方に築造されました。遺構の残存状況がよく、右翼・左翼の観測所からは、壱岐方向の水平線やリアス式海岸・浅茅湾などを一望できます。
 国道382号線上の緒方入口から少し北上すると、日露戦争に備え、軍が人工的に開削した万関瀬戸(久須保水道)があります。姫神山砲台は、敵艦がこの万関運河を通って、海軍の拠点であった浅茅湾へ侵入することを阻止するため設置されました。28センチ榴弾(りゅうだん)砲が2門×3基の計6門配備され、対馬の明治期を代表する、典型的かつ最大規模の砲台跡です。

※榴弾砲・・・高角度で重量弾を打ち上げ、その落下加速度を利用して、敵艦の装甲が薄い甲板部分を上から下に撃ち抜くタイプの大砲です。破壊力は大きいのですが、命中精度に問題がありました。
加農(カノン)砲・・・低角度(水平など)で高速の砲弾を発射し、敵艦の側面部を攻撃するタイプの大砲です。命中精度・射程距離は優れていますが、船の側面部は装甲が厚く、破壊力に問題がありました。

 

砲台名 姫神山砲台(ひめがみやまほうだい)
所在地 長崎県対馬市美津島町緒方 >>観光情報館ふれあい処つしま~美津島町緒方~姫神山砲台(Googleマップ)
築造 明治33年(1900年)2月~明治34年(1901年)11月
築造者 大日本帝国陸軍
史跡 -

 

対馬砲台あるき砲台~対馬要塞まるわかりガイドブック~

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 >>A5サイズ32ページ一括ダウンロード(3.8MB)

 

動画 姫神山砲台

※画像をクリックすると、姫神山砲台の映像(18:27~)が流れます。

 >>対馬観光映像集~歴史編~ (MOTTO! TSUSHIMA HISTORY)(YouTube)

 

コース所要時間

観光情報館ふれあい処つしま((一社)対馬観光物産協会)
↓ 車で25分(17.6km)
美津島町緒方(駐車)
↓ 徒歩40分(1.6km)
姫神山砲台跡(172m)
↓ 徒歩30分(1.6km)
美津島町緒方(駐車)
↓ 車で25分(17.6km)
観光情報館ふれあい処つしま((一社)対馬観光物産協会)

※上記所要時間は、休憩・見学をのぞく移動時間です。見学時間を適宜追加してください。

※(一社)対馬観光物産協会は、長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1 観光情報館ふれあい処つしま にあり、厳原港から車で3分、対馬空港からは車で20分です。

コース紹介

観光情報館ふれあい処つしま

 観光情報の提供、パンフレットの請求はこちらまで。
【所在地】 〒817-0021
長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館ふれあい処つしま(一般社団法人 対馬観光物産協会)
【電話】 0920-52-1566
【アクセス】 厳原港から車で3分(徒歩10分)、対馬空港から車で20分。

 

(1)国道382号線・緒方入口

 厳原港・対馬空港から国道382号線を北上し、バス停・緒方入口から右折し、緒方集落に向かいます。このまま北上(直進)すれば、万関橋に着きます。

 

(2)緒方集落の様子

 緒方集落に駐車し、徒歩で姫神山砲台(山頂)を目指します。(4輪駆動車であれば山頂まで行けないことはありませんが、道路は未舗装で対向車とすれ違う余地もなく、危険です)

 

(3)乙宮神社

 海の女神・玉依姫と豊玉姫の姉妹神が祭られ、大砲の砲弾が奉納されています。

 

歩道

 明治時代に、物資の輸送等のために幅3mほどの馬車が通る軍道が整備されています。

 

歩道

 登りも下りも馬車が暴走しないよう、一定の緩やかな傾斜が続きます。

 

(4)折瀬鼻砲台への分岐点・広場

 姫神山砲台と折瀬鼻砲台(明治期・昭和期の砲台)の分岐点に広場があり、そこから緒方浦・三浦湾、また浅茅湾中のランドマークである浅茅山(あさじやま)などを眺望できます。折瀬鼻砲台へは悪路です。

 

(5)山頂手前広場

 姫神山砲台の門柱(石柱)がある山頂手前にも広場があり、緒方浦、三浦湾、浅茅山(あさじやま)などを眺望できます。

 

(6)棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)

 レンガと砂岩で構築された弾薬庫です。内部には除湿のために塗られた漆喰が残っています。

 

(7)姫神山砲台説明板

 姫神山砲台の概要、配置図、浅茅湾内に設置された砲台の射程・方向などが記載されています。左の砲弾は、28センチ榴弾砲の実弾です。

 

(説明板より)
 日本本土と大陸の中間に位置する国境の島対馬は、国防そして大陸に向かう最前線基地として明治20年から昭和20年まで30箇所を超える多くの砲台が建設され、島の要塞化が進められました。
 この姫神山砲台は、日露戦争に備えたもので、敵の東水道からの侵入を阻止するために建設され、機能的にも砲台としては代表的な造りです。明治33年2月の着工、翌年11月に竣工し、その後明治37年1月に6門の28センチ榴弾砲が備え付けられました。
 施設は、赤レンガと地元産浅海砂岩で造られており、今では周囲の自然と調和・融合し、レトロな雰囲気が美しい空間を醸し出しています。

 

(8)左翼観測所へ

 左翼側の観測所へ続く通路。

 

(9)砲座

 2門1対の28センチ榴弾砲が3対(計6門)あり、砲身は日露戦争開戦直前の明治37年1月に設置されました。

 

砲台の様子

 右翼観測所近くから振り返った砲座方向です。

 

(10)右翼観測所

 観測器を設置し、敵艦までの距離や方位を観測していた、いわば「右目」です。反対側に左翼観測所(左目)があります。対馬海峡(東水道)に面して眺望がよく、気象条件がよければ、壱岐や沖ノ島まで見えることがあります。

 

右翼観測所からの眺望

 日露戦争の日本海海戦(世界的な呼称は「対馬沖海戦」)では、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊が、ロシア・バルチック艦隊を壊滅させ、世界に大きな衝撃を与えました。
 関東大震災や第二次世界大戦などの暗い時代を経て、100年以上忘れ去られていた姫神山砲台は、国境の島・対馬の数奇な歴史を現在に伝える近代土木遺産として、また個性的な観光資源として、あらたに脚光を集めています。

 

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