万関橋
浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。この橋は平成8年に架け替えられ、3代目にあたります。明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。
この万関橋は、その開削された瀬戸に架かり、対馬の上下島を結んでいます。

浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。この橋は平成8年に架け替えられ、3代目にあたります。明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。
この万関橋は、その開削された瀬戸に架かり、対馬の上下島を結んでいます。
国境の島・対馬の中心部・厳原町今屋敷(いづはらまち いまやしき)に、「観光情報館 ふれあい処(どころ)つしま」が誕生。
対馬産木材と日本瓦の和風建築は、対馬藩の家老・古川家の「長屋門」を再現したもので、施設内には、「観光案内所」「観光の間」「特産品の間」「体験憩いの間」「コインロッカー」、24時間トイレなどが設置されています。
海の玄関口・厳原港にも近く、敷地内には路線バスのレーンもあり、島内各地への交通の起点となります。