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天神多久頭魂(たくずだま)神社

対馬の南部・厳原町豆酘と同様、天道信仰のもう一つの中心地でした。
佐護湊の天道山の麓にあり、貞観12年(870年)3月5日「日本三大実録」の授位に記載が見え、社の無い磐座(いわくら)の祭壇で有名です。
「延喜式」神名帳では、対馬上県郡の『天神多久頭多麻命神社』とあり、『天神(あまつかみ)』と冠称した例は全国の式内社中四座しかない貴重な神社です。
近隣には神御魂(かみむすび)神社、天諸羽(あめのもろは)神社(式内社)などが鎮座しています。

網代の漣痕と洗濯岩

対馬の地層は、全島が対州層群と称される砂岩と頁岩の互層が主体を成し、その深さは4000m以上にも達します。
漣痕はこの砂岩上に、地質時代、水流や気流あるいは波浪の作用によって波状に遺された痕跡で、リップルマークともいいます。網代の漣痕は、国内最大級の水流によって形成された舌状痕です。
海岸に波を打ったようなでこぼこの岩盤を漣痕といい、浅い海底にたったさざなみがそのままの状態で今も海岸に姿を残しています。規模も大きく、太古のさざなみの音がいまにも聞こえてくるような対馬の長い歴史を感じさせる「さざなみ」の化石です。

多久頭魂(たくずだま)神社

「延喜式」神名帳に下県郡の名神として「多久頭神社」とあり、現在の豆酘・多久頭魂神社に比定されています。
この「多久頭魂神社」は、古来より「天道信仰」の本拠とされてきました。
平安中期以降、神仏習合により「豆酘御寺」と称しましたが、明治の神仏分離令により「多久頭魂神社」を復し、現在地に鎮座しましたが、社殿は旧観音堂を使用しています。
「観音堂大蔵経:県指定有形文化財」
境内の経蔵には、高麗版の大蔵経があり、韓国の伽耶山南印寺にある木版と合致します。
「金鼓・梵鐘:国指定重要文化財」
高麗時代の金鼓がありますが、韓国にも例のない大作です。
社前の鐘楼に懸かっている梵鐘は、寛弘5年(1008)初鋳、以後二度の改鋳が行われ、それに対馬の古族阿比留氏の名が見えます。

胡簶(ころく)神社

琴にある胡簶御子神社の横道を歩くこと20分、海につながる参道は圧巻です。
胡簶御子神は『続日本後紀』において承和四年(八三七)二月、対馬上県郡の和多都美神、胡簶御子神に神位奉授の記事が見え、これは高御魂、住吉、太祝詞と共に対馬で最も早い授位神(官社)で、延喜式内社です。胡簶神も遅れて授位神となり、この胡簶二神が琴崎と郷ノ浦に鎮座しています。

『対州神社誌』にこの神が水中より現れたこと、その日が三月三日であることが記載されています。三月三日は古い海神の縁日で最近までは琴崎様の祭りが行われていました。

琴(きん)の大銀杏

上対馬町琴(きん)の長松寺にあるこの巨木は、樹齢千五百年といわれる日本最古の銀杏であり、文字通り対馬の親木です。樹幹を失った空洞の中には、お稲荷さんが祀られています。
「琴の銀杏の木は対馬の親木」と地つき唄に唄われ、「沖より見れば茂りて山の如し」と古文にもあります。
永きに渡って風雨に耐え続け、現在もなお樹勢は盛んで、春に枝いっぱいの葉をつけ、秋には黄葉し、晩秋の落葉の時は、まるで小判でも撒き散らすような荘厳な景色です。正確には幹廻り12.5メートル、樹高40メートルで県指定文化財に指定されています。

あそうベイパーク[オートキャンプ場]

あそうベイパークは、全体面積56.1haをもつ自然公園で四季折々の自然の恵みを楽しむことができます。春には玄海ツツジ、桜などが咲き乱れ、夏にはハス園の水面いっぱいにハスの花が広がり、秋にはダンギク、コスモスなどが心を和ませてくれます。レジャー施設では、オートキャンプ場(年中)、カヌー(7・8月)、パットゴルフ、多目的広場、トリムコース、展望園地、草スキー、遊歩道などが整備され、大勢の利用客で賑わいます。まぶしい太陽と自然、美しい海のもとで一日をおもいっきり楽めるスポットです。

オメガ公園

ここにはかつて東洋一の電波塔があり、船舶などの位置確認に利用されていました。現在はその役割を、人工衛星を利用したGPS(全地球航空測位システム)が担っています。オメガの大鉄塔は高さ455m直径3mもあり東京タワーの333mより100m以上もの高さでした。そのためスカイツリーができるまで、日本で一番高い建造物は、オメガ塔だったのです。
現在は解体され、その一部をモニュメントとして眺めることができます。

御岳(みたけ)

対馬北部・上県町の御岳は、白嶽と並んで古くから知られた修験道の聖地で、雄岳と雌岳、平岳が連なって御岳と呼ばれています。北部において御岳(雄岳)は唯一479mの標高がありますが、これは南部の500m級の山岳同様、地下のマグマ活動の影響を受けているためで、山頂付近にはマグマ活動の名残りの玄武岩が露出しています。そして古くは対馬最高峰と信じられていました。またツシマヤマネコの生息地でもあり、かつては巨大なキツツキの仲間「キタタキ」が生息するなど、南部の山々とは異なる独自の生物分布をもち、天然記念物・特定動物生息地保護林などに指定されています。モミの巨木・小動物・菌類によると生と死、循環と再生のドラマが繰り広げられており、神秘的な原生林の姿を体感できるスポットです。

美女塚公園

厳原町豆酘(つつ)地区の「美女塚伝説」を伝える石碑が建てられています。
『昔、豆酘に鶴王という美しい娘が住んでいました。
賢く親孝行な彼女は、あるとき采女として都へ召喚されることになりました。
年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都へ上る日、この場所で自らの命を絶ちました。
「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、これからは、この里に美女が生まれませんように・・・」
このような言葉を残して世を去りました。』
采女というのは、古代天皇の宮廷に、地方豪族の娘が出仕したものです。
制度として確立したのは大化改新の時ですが、それ以前から慣行としてあったようです。