観光・自然・歴史

49件ありました

金石城跡

享禄元年(1528)の内乱で、「池の屋形」は炎上消失しました。脱出した宗将盛は国分寺に避難し、国分寺の東側は空いていたので、そこに新しい屋形を築きました。それが「金石屋形」です。
寛文5年(1665)、義真は国分寺を日吉に移転し、金石屋形を拡張しました。城郭を整備し、大手門に櫓を建て、多門櫓を造ったのが同9年で、これより「金石城」あるいは「府城」ともいいますが、天守閣は造りませんでした。
今運動公園の地に残る城壁、城門の跡、庭園の池などは、さすがに往年の偉容を偲ばせます。大手の櫓門は大正8年(1919)まで残っていましたが、京都かどこかの寺院に売却されたといいます。
現在のものは平成2年に再建されたものです。

椎根の石屋根倉庫群

板石をもって屋根を葺く習俗がいつ頃から始まったのかは、明白ではありませんが、瓦より堅固な石材が容易に得られる地方では、古くからあったと考えられます。
現在椎根で見られるような整形した石は格別で、この厚い砂岩の板石は浅海の島山から運んだと言われています。
この石屋根はどこも小屋と呼ばれる倉が主で、人家には使用せず、衣類の櫃と穀類の俵等が格納されていたそうです。
対馬の集落の佇まいは、人家の火災等から小屋だけは残るように配慮され、人家と小屋は離して建てられています。
椎根はそれが特によく分かり、人家は両側の山際に一列に並び、中央を流れる川の両岸に小屋が群をなしています。

鰐浦(わにうら)のヒトツバタゴ

ヒトツバタゴはモクセイ科の大陸系植物で、古代より大陸への窓口であった対馬を象徴する植物として、対馬市の木に指定されています。
対馬北部の鰐浦地区は国内最大の自生地であり、5月初旬の開花期には3,000 本といわれるヒトツバタゴが一斉に白い花を咲かせ、初夏に積もる雪のようです。
波の穏やかな日には、山を白く彩るヒトツバタゴの花の影が海面を白く染めることから、「海照らし」の別名で呼ばれています。
・昭和3年 国の天然記念物に指定
・平成21年3月 「島の宝100景」(平成21年3月)認定

青潮の里[キャンプ場・尾浦海水浴場]

厳原町南東部、尾浦地区にある自然豊かなキャンプ場と海水浴場です。併設しているため、1日中楽しむことができます。
キャンプ場にはバンガローが3棟、貸出し用テントを備えているほか、テントサイト、運動広場、炊事棟などがあります。
また夏季期間は管理棟に管理人を配し、運営に当たっています。
澄みきった海が広がる海水浴場はゴロタ浜で、マリンレジャーのポイントとして夏休みには町内外からの多くのファミリーで賑わいます。
子供から大人まで大人気のスポットです。

目保呂(めぼろ)ダム馬事公園

対馬固有の貴重な在来馬・対州馬(たいしゅうば)。
急峻な地形の対馬において、人の移動や荷物の運搬、農耕などに活躍してきた馬で、体高は約1.2m。
蹄鉄を必要としない頑丈な蹄、温順な性質、粗食に耐えることなどから、島の生活に欠かせない動物でしたが、自動車の普及と機械化時代の到来により数が激減しました。

現在は対州馬保存会が中心となり、保存活動を行っています。

対馬北部の「目保呂ダム馬事公園」では対州馬を飼育しており、曳馬・乗馬などの体験をする事が出来ます。

姫神山砲台跡

日本本土と大陸の中間に位置する国境の島対馬は、国防そして大陸に向かう最前線基地として明治20年から昭和20年までに30箇所を超える多くの砲台が建設され、島の要塞化が進められました。姫神山砲台は、明治33年2月着工、翌年11月に竣工し、その後明治37年1月に6門の28センチ榴弾砲が備え付けられました。対馬の明治期を代表する砲台跡です。施設は、赤レンガと砂岩で造られており、今では周囲の自然と調和・融合し、レトロな雰囲気が美しい空間を醸し出しています。

韓国展望所

韓国まで49.5㎞の至近距離にある上対馬町は、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望める、まさに「国境の町」です。この展望所は、地理的にも歴史的にも深い関係にある韓国の古代建築様式を取り入れて建造されており、展望台についてはソウルのパゴダ公園にある多目的施設を、ゲートについては韓国国際ターミナル(釜山)の入口ゲートをそれぞれモデルにしています。展望所から見る釜山の夜景も大変美しく、トイレ・駐車場等も整備されているため、観光スポットとして人気を博しています。