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観光モデルコース

  1. 対馬の城・砲台の概要
  2. 朝鮮出兵の山城 清水山城
  3. 続日本100名城 金田城
  4. 明治期に復活した国防の中枢 城山砲台
  5. 天空の要塞 姫神山砲台
  6. 島の東西を結ぶ軍事拠点 上見坂堡塁
  7. 世界最大級の巨砲 豊砲台

対馬の城・砲台


日本の城

写真: 熊本城(2011年9月25日)

 日本における「城」の原型は、水稲栽培の伝来とともに激化した土地をめぐる争いから集落を守るために誕生した、環濠集落や高地性集落とされています。
 7世紀の白村江の敗戦を契機に、九州から瀬戸内海周辺、近畿地方に古代山城が築かれ、また7~9世紀にかけて東北地方に築かれた城・柵(ともに「き」)は、蝦夷(えみし)に対する防御施設でした。
 中世から戦国時代にかけては、武力集団の居館の城塞化が進み、また山城が発展しました。
 その後、統治の不便さや、鉄砲の伝来による戦争形態の変化により、丘や平地に堀をめぐらせ高い石垣を築いた平山城・平城が主流となり、天守閣を備えた日本らしい城が完成します。城は防衛拠点であり、統治の象徴でもありました。

対馬の城

写真: 金田城跡・東南角石塁

写真: 清水山城・一の丸

写真: 金石城・櫓門

 対馬は、面積の89%が山地で、農耕地もわずかであるため、戦国時代においても日本国内の戦(いくさ)に巻きこまれることが少なく、城の数は多くはありません。
 ただ、7世紀年の白村江の戦いに際して築かれた古代山城・金田城(かなたのき)や、戦国時代末期の文禄慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)に備えた清水山城(しみずやまじょう)など、外国との関係が緊張するたびに、国土防衛あるいは対外進出の拠点としての城が築かれました。
 また、江戸時代には対馬藩主・宗氏の居城として金石城(かねいしじょう)・桟原城(さじきばらじょう)が整備されました。

対馬の砲台

写真: 姫神山砲台

 幕末の対馬は、東アジアの植民地化をねらって不凍港を欲するロシアの圧力を受け、ポサドニック号事件(1861年)などの流血事件が発生します。明治政府は、対馬の地政学上の重要性を認識し、東京湾要塞に次いで対馬要塞の整備を推進します。
 首都・東京の次に重要なのが、対馬および島の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)だったのです。
 明治から昭和にかけ、対馬全体に31ヶ所もの砲台が設置されました。実戦で使われることはほとんどなかったものの、太平洋戦争末期、米軍による日本海側の都市への艦砲射撃が行われなかったのは、対馬要塞の抑止力によるものと言われています。
 対馬の城・砲台の多くは、国境の島として対外的な緊張にさらされ続けた数奇な歴史を、今に伝えているのです。

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